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今回はインドで大々的にヒットした数々のポップスを手がけたほか、自身のソロプロジェクトによる曲も世界的に売れたインド人アーティストを紹介。

Biddu(ビドゥ)という名前のこのミュージシャン。日本ではあまり耳慣れない名前だが、実は1960年代に日本の大物アーティストの曲をプロデュースし、80年代には某人気アイドルのヒット曲も作曲している。

そんな彼にまつわるストーリーをまとめてみました。

■日本でのヒットをきっかけにキャリア拓ける

ベンガルール出身のビドゥは、イギリスで歌手として成功する夢を叶えるために、23歳だった1967年にインドを飛び出した。ロンドンまでの直行便の航空券は高くて手が出なかったため、貨物船で中東を経由しての旅だった。

しかしロンドンでいくつかのシングルをリリースしたものの、全く反響はなかったという。故郷のインドでは自身が率いる「Trojans」というバンドでロックファンから熱狂的な人気を得ていた彼だが、ロンドンではアメリカ大使館でシェフとして働いたり、ハンバーガーショップのキッチンでのバイトでなんとか食いつなぐ状態だった。

転機は渡英から約2年たった1969年に訪れた。日本で大人気だという4人組のロックグループのプロデュースをポリドール・レコーズから任せられたのだ。このグループは2曲の英語曲を録音するため、3日間ロンドンに滞在するのだという。

ビドゥは、彼らと会ったときの様子を次のように振り返っている。

「東京から到着したばかりのザ・タイガースというバンドと会った。4人の若い男の子たちで、プリンボウルのような可愛らしい髪型をしていた。彼らは頻繁にお辞儀をして絶えず笑顔だったし、それは僕も同じだった。彼らが泊まるホテルの一室で、英語の発音をレクチャーした。特に“R”と”L”の発音の違いに手こずっているようだった。一緒に時間をかけて練習することで、なんとか日本で出すには十分なレベルにできたんだ」。

この時レコーディングした曲は、the Bee Geesのメンバーが作詞作曲した「Rain Falls on the Lonely」と「Smile For Me」の2曲。歌い手は当時21歳の沢田研二。

「Rain Falls on the Lonely」(”R”と”L”の発音はうまくいっているでしょうか)

この2曲は翌年7月に日本でリリースされ、瞬く間にチャートのトップへ駆け上がった。ビドゥとして初めてのプロデュースであり、初めてのヒット曲となった。この成功をもって早速ロイヤリティーの引き上げをポリドールに要求したビドゥだが、契約書に明記されていないという理由で却下されてしまったという。相変わらずお金はないままだった。

■初の世界的ヒット

そんな彼にとって、70年代はさらなる飛躍の時期になった。

70年代に入ると、ビドゥはプロデュース対象の歌手を探すようになった。そしてアメリカやイギリスの複数の歌手の曲を手がけたが、大きなヒットには中々つながらない。

「やはりラジオで曲がかけられないことにはヒットしないという事が分かってきたんだ。イギリスで毎週約50枚の新作がリリースされる中で、メジャーなラジオ局は一つしかない。そのラジオ局が曲を紹介してくれなければヒットは望めない」(ビドゥ)。

そうした中でビドゥは、売れるためのソングライティングのノウハウを少しずつ学んでいった。リスナーの注意を引くことができるイントロとはどうあるべきか?最後まで聴かせるにはどんなサウンドや構成であるべきか?など。

1972年に出会ったカール・ダグラスというジャマイカ出身の歌手との仕事が、ビドゥのキャリアを大きく変えた。

カールは当時流行していたカンフーを題材にした歌詞をビドゥに持ち込んだ。曲名は「Kung Fu Fighting」という。ビドゥはこの曲をB面に収録するつもりで、少しおちゃらけたユニークなサウンドに仕上げていった。これが結果的に一度聴いたら忘れない存在感のある音につながることになる。

しかしこの曲を評価したレーベルの意向で、「Kung Fu Fighting」は急遽A面としてリリースされることに。そして1974年に発売されたこの曲はイギリスのみならず世界中で反響を呼び、900万枚以上を売り上げる大ヒットを記録した。

「Kung Fu Fighting」のライブ映像。左端で踊る長髪の男性がビドゥ

自身が手がけた曲が世界的にヒットしたことによって、ビドゥは経済的な成功も手にした。高級住宅地ノッティングヒルに自宅を構えたほか、ベンガルールの母親への仕送りできるようにもなったという。

また70年代中盤ごろから、自身のソロプロジェクト “Biddu Orchestra”名義でディスコファンクチューンのインストアルバムをリリースし始めた。当時のディスコブームに後押しされる形で、ウィガンやブラックプールといったノーザンソウルが活発だったイギリス北部のアンダーグラウンドシーンを中心に一定の人気を獲得することになる。

■インドでポップスブームを巻き起こす

70年代の終わりになってヨーロッパでのディスコブームが収束してくると、ビドゥは活動の比重をインドに徐々に移すようになる。インドではまさにこれからディスコサウンドをサントラにしたボリウッド映画が作られようとしていた。

当初ビドゥはボリウッド映画のサントラには興味を示していなかったが、制作側に説得されて女性プレイバックシンガーによる曲作りを引き受けることに。ただビドゥは曲作りの条件として、インド以外の歌手の起用を望んだ。

当時ボリウッド映画の曲を歌う女性プレイバックシンガーといえば、アシャ・ボスルとラタ・マンゲシュカール姉妹が君臨していた。

そしてヒンドゥー語で歌える歌手をロンドンで探すことに。ビドゥの前に連れてこられたのは、15〜16歳ほどのパキスタン人の少女だった。Nazia Hassan(ナジア・ハッサン)という名前のこの少女の歌声を聴いて、ビドゥはこう述べている。

「素晴らしい声というわけではないが、とても独特。インドのオールドスクールの歌手たちとは一線を画す歌声だった」。

ビドゥは彼女のために「Aap Jaisa Koi」という曲を書き上げた。この曲を起用したボリウッド映画「Qurbani」は1980年に公開され、記録的なヒットを飛ばした。それと同時にそれまでインドでなんのキャリアもなかったナジアを一夜にしてスターダムに押し上げることになった。

またナジアを歌い手として、ボリウッドソングではない通常のポップスをリリースする計画も立ち上がった。ボリウッドソングが主流のインドにおいては、挑戦的な試みだ。

このプロジェクトでビドゥは「Disco Deewane」というディスコチューンのポップスを制作。1981年にリリースされたこの曲は、発売当日の販売枚数がムンバイだけで10万枚に上るという、それまでのインドでは考えられない売れ行きを記録。世界での累計販売枚数は6,000万枚にも及ぶという。「Disco Deewane」は当時のインドの若者たちの間でアンセム的な存在となり、最近でもリミックス版がヒット映画のサントラで使われている。

「Disco Deewane」

「Disco Deewane」のほかにも複数のヒットを飛ばした

インドだけでなく南アジアを代表する歌姫として名をあげたナジアだが、1992年にリリースしたアルバムを最後に活動を休止。肺がんによって2000年に35歳の若さでこの世を去ってしまう。

■インドで社会現象となったヒット曲

80年代中盤には、また一つ日本とのつながりができた。ビドゥは過去に「Don’t Tell Me This Is Love」というR&B調のポップソングを作曲していたが、特に発表することなく、作ったこと自体も忘れていた。

ある日ビドゥは、日本の人気アイドルがこの曲を歌いヒットしていると耳にする。歌い手は当時日本で絶大な人気を誇っていた中森明菜で、シングルチャートの1位を飾っているというのだ。

ザ・タイガースとカール・クレイグに続いて、ビドゥにとって3曲目の日本でのヒットだった。「ベンガルール出身でこんなに名誉なことを成し遂げた人間はいないと思うよ」(ビドゥ)。

ビドゥの快進撃は止まらない。

1989年に、ビドゥはムンバイにいる友人から連絡を受ける。ポップソングをメインとするレーベルを立ち上げたので、曲を作って欲しいというのだ。「マグナサウンド・レコーズ」というこのレーベルは、ボリウッドソングが主流のインドにおいて、ポップミュージックを根付かせることを使命としていた。

ビドゥは、ここでいくつかのヒットソングを手がけることになるが、中でも1995年にリリースした「Made In India」という曲は、インドで社会現象といえるほどの反響を呼び起こした。

当初歌手はナジアにする予定だった。しかしインド向けの曲ばかりを歌うことによって母国パキスタンでの反発を懸念した彼女は、これを断る。そこで急遽ボリウッドのプレイバックシンガーとして活動していた、アリシャ・チナイという30歳の女性歌手を代わりとした。

「インド版マドンナ」として売り出されたチナイが歌う「Made In India」は、美しいミュージックビデオもあいまって、インドで絶大な反響を呼んだ。発売から35週連続でチャートにとどまり、インドだけで300万枚の販売を記録した。

社会現象となったこの曲のタイトルは、当時経済成長の入り口に立っていたインドの象徴として捉えられるようになる。

インドはボリウッドソングが中心の国とはいえ、少し掘り返してみると良質なポップスもザクザクと出てくる。音楽大国インドの層の厚さを感じますね。

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※参照情報
Made in India: Adventures of a Lifetime (English Edition)
Biddu(Wikipedia)
Biddu(iTunes)
曲の内容に関するデータ/コメント
Smile For Me
Kung Fu Fighting
Aap Jaisa Koi
Disco Deewane
Nazia Hassan