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“アシッドハウスの元祖”として世界的に有名なミュージシャン、チャランジット・シンが7月5日、ムンバイの自宅で亡くなった。75歳だった。詳しい死因は報道されていないけれども、就寝中に亡くなったそう。

シンの死を報じるニュースは、インド国内のメディアだけでなく、Pitchforkなど海外の主要音楽メディアでも発信されたことからも、海外での彼の知名度の高さが伺える。

1960〜80年代を中心にボリウッド音楽のセッションミュージシャンとして活動してきた彼が一躍有名になったきっかけは、1982年にリリースした10曲入りのアルバム“Ten Ragas To A Disco Beat”。

当時発売されたばかりのローランド製のシンセサイザーを使い、インド伝統音楽のラーガと欧米のディスコミュージックをミックスした異色作だ。

しかしあまりに革新的だったせいか、リリース当時はほとんど注目されず商業的にも成功しなかった。この作品が日の目を見るのは、オランダのレコードコレクターによって”発見”されたことをきっかけに、2010年にリイシューされてからとなる。

再販されたこのアルバムは、インド国内やヨーロッパを中心とした海外で驚きをもって迎えられた。奇想天外なサウンドや質の高いレコーディングなど楽曲面で優れていたということもあったが、なにより1987年ごろにシカゴやロンドンで誕生したとされてきたアシッドハウスのサウンドが、1982年リリースのこの作品にみられたからだ。

しかも欧米の一流アーティストではなく、無名のインド人ミュージシャンによる作品に。

時代に先駆けてアシッドハウスを取り入れた異色作“Ten Ragas”は一体どのような経緯で生まれたのか?シンの追悼企画としてまとめてみました。

本編に入る前に、このアルバムをまだ聴いたことがない方は、まずご一聴を。

こちらでダウンロードできます。
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■伝説的なアルバムができるまで

今ではエイフェックス・ツインなど海外の一流アーティストから「アシッドハウスの元祖」として言及されるシンだが、エレクトロニカのミュージシャンというわけではない。本業はボリウッド映画音楽のセッションミュージシャンだ。

しかもR.D Burmanなど一流の作曲家と共に、人気映画のサウンドトラックを手がけるなどしていたものの、インドで一般的に知られるほど知名度が高かったわけではない。

また自身の名義で10枚ほどのアルバムをリリースしているが、”Ten Raga”を除いてすべてボリウッドソングのカバーアルバムだ。

そんな人物がなぜ歴史に残る電子音楽を作ることになったのか?ガーディアン誌のインタビューに対して、シンは次のように答えている。

「1982年はディスコミュージックを使ったボリウッド映画が数多く公開された時期なんだ。僕はディスコミュージックを使ってもっと違うことができないかと考えた。そこでタブラの代わりにディスコのビートでインド音楽のラーガを演奏しようと思いついたんだ」。

制作に際して、シンはシンガポールで購入したという当時発売されたばかりのベースシンセサイザーRoland TB 303とドラムマシーンRoland TR 808を使うことにした。今ではアシッドハウスの代名詞として紹介される伝説的な機材だ。

「試しに自宅で鳴らしてみたらすごく良い音が出た。レコーディングしない理由はないと思ったよ」(シン)。

最新鋭の機材と共にスタジオに入ったシンは、2日間のレコーディングの末に作品を完成させた。彼自身手応えを感じる出来栄えだったようだ。

しかしリリース当初に作品が注目されることはなかった。国内のラジオで何度か紹介されはしたものの、反響はほとんどない状態。そして商業的に成功することもなく、いつしか忘れ去られてしまった。

「まったく売れなかった。たまにラジオでかけられる以外は大したプロモーションもできなかったしね」(シン)。

“Ten Ragas”はその後20年間、世間に知られることなく埋もれ続けることになる。

■無名のアルバムが世界的人気に

Edo Boumanというオランダ人のレコードコレクターは2002年、デリーのレコードショップを散策していた。

この時彼が購入した戦利品のレコードの中に、”Ten Ragas”が含まれていた。初めてこのアルバムを聴いたときについて、Boumanはこう振り返っている。

「ホテルに戻った後にポータブルプレーヤーで聴いたときにはぶっ飛んだよ。アシッドハウスのようで、クラフトワークのように極限までミニマルな音だった」。

さらに彼を驚かせたのが、レコードのリリース年。1982年というと、最初期のアシッドハウスのレコードとされてきたシカゴのユニットPhutureによる”Acid Trax”がリリースされる5年も前になる。

すっかり興奮したBoumanは、制作したシンに会うべく調査を始める。そしてシンがムンバイに住んでいることを突き止めた彼は、すぐさまシンの自宅を訪問した。

「彼はとてもフレンドリーに迎えてくれたよ。僕があのレコードを知っていることにひどく驚いたようだった。どうやってあのアシッドハウスのようなサウンドを作り出したのか質問してみたけど、彼の答えはあまり要領を得なかった。どれだけ驚異的でモダンな作品か、彼自身理解していないようだった」(Bouman)。

また別の機会にBoumanは、「ただ”Ten Ragas”が偶然に出来てしまったこと、先進的な作品であることは、シンも理解しているようだ」と話している。

それから8年後の2010年、Boumanは自身のレーベルBombay Connectionから”Ten Ragas”をリイシューする。

今回の反響は絶大だった。オリジナルの発売から30年たって、ようやくその奇想天外なサウンドが理解される下地が整ったということだろう。

リイシュー版が売れたことについてシンは、「昔に作った古い作品が受け入れられてとてもうれしい。発売当時のインド人は、あのサウンドを理解しなかった。たまにラジオで番組と番組の合間にかけられたくらいだったからね」と話す。

インド国外からギグのオファーが届くようになり、イギリスやオランダ、スウェーデン、ベルギーなどヨーロッパを中心にツアーをこなすことになる。機材は82年のレコーディング当時に使ったものを使用したという。

ヨーロッパ各地のクラブでは、インドから来た70歳過ぎの老人が、フロアに集まった若者たちを熱狂させる、という不思議な光景が繰り広げられた。

クラブでプレイするシン

クラブでプレイするシン

また世界的なメディアによるインタビュー依頼も殺到した。しかしフレンドリーであるもののシャイな彼から深い話を聞き出すことは難しかったようだ。

2011年にシンにインタビューしたガーディアン誌の記者は、次のような感想を書き残している。

「シンがアルバムをレコーディングした当時の様子について、詳細を語らないことにフラストレーションを感じた。レコーディングに使ったRoland TB 303とRoland TR 808を購入した理由や場所についてもちゃんとした理由を話してくれない」。

■最近の活動

彼は死の直前まで精力的に活動を続けていた。2013年にはラジャスタン州の砂漠で開かれる音楽フェスMagnetic Fields Festivalに参戦。また最近ではロンドンでのライブと、インドのフォークミュージックのアルバムを制作を予定していたという。

Magnetic Fields Festivalでの演奏。

“Ten Ragas”をリリースしていなければ、ボリウッドの無名ミュージシャンとして終わっていたかもしれない、チャランジット・シン。”Ten Ragas”はサウンドとしてとんでもなく先進的であるだけでなく、世に知られるまでの紆余曲折があったというドラマ性も含めて、非常に魅力的な作品ですね。

<三友直樹>

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※参照情報
Charanjit Singh on how he invented acid house … by mistake
CHARANJIT SINGH, INADVERTENT INVENTOR OF ACID HOUSE PASSES AWAY
Charanjit Singh, acid house pioneer
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Charanjit Singh To Play At Magnetic Fields Festival 2013