naezy

ちょっと前にNaezy(ネイジー)というラッパーに関する記事を書いた。ネイジーはムンバイ郊外のスラム出身で、YouTubeにアップした自作のミュージックビデオをきっかけにシーンで知られるようになったという青年。

本当はインタビュー記事にしたかったんだけれども、Facebookから出した依頼メールに返事がなかったので、とりあえず彼に関する情報をネットで集めて記事にした。反応も結構良かった。

インドでヒップホップスターになったスラム街の青年

地元の不良として警察の世話になったこともあるが、過ちに気づいて最終的にはアーティストとして名が売れたという彼。やっぱりそういうストーリー性のあるアーティストの話には引きがある。

記事を出してしまったので一旦彼のことは頭から離れていた。けれどもそれから2ヶ月ほどして、突如彼から返事がかえってきた。しかも一言だけ。

「何がしたいの?」(What’s the offer?)。

最初のメールでは、インタビューしたいとはっきり書いたつもりだったけれども、ちゃんと伝わっていなかったのかもしれない。記事化に向けてインタビューしたい、OKなら質問を送るともう一度伝えると、すぐに返信があった。

「いいよ。送って」(Sure. Send it across)。

毎回メールの文章がそっけないのが気になった。質問の答えもこの調子で返してくるのではないかと。サングラスやスケーター風の服を身につけてラップする彼の姿はちょっといかつい印象がするが、まさにそのイメージ通りの文面だ。

けどしっかり答えてくれるだろうという気もしていた。インド人女性が作った彼に関する短編ドキュメンタリーをみると、ミュージックビデオとは打って変わって、素朴で誠実そうな雰囲気だったからだ。

「サングラスが似合うねってみんな言ってくれるんだけど、自分では全然そう思えないんだ」とはにかむ様子なんかは、飾り気がなくて好感が持てた。

そして4日後にネイジーから返ってきた回答をみて、予想通りだと思った。

あいさつとか軽い枕詞の文章がなくて、いきなり回答だけだったのは相変わらずだけれども、Facebookの細長いメッセージ欄がびっしり埋まるほどの量だった。内容も内省的というか、自分の中でしっくり感じる言葉を選んで、一つ一つ丁寧に取り出しているような印象がした。

彼に関するインタビュー記事はほぼ読んでいたけれども、初めて目にする内容も多い。だから話し慣れたエピソードをサッと送ってきたというわけでもなさそうだ。場面の描写も割と細かいし、正確な時期も添えられている。

こんなに丁寧で人柄が伝わってくる回答も中々ないなーと感心してしまった。

ヒップホップが根付いていないインドでの活動は苦労も多いはず。真摯に自分自身や作品と向き合う姿勢はどこからくるのだろうか──。

地元のムンバイ郊外クルラ地区でインタビューに答えるネイジー。
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■ラップにハマったきっかけ

ネイジーがヒップホップにハマったのは、8年生(日本の中学3年)だった2006年。ジャマイカのレゲエ歌手ショーン・ポールの曲「Temperature」が道端でかけられていたのを耳にした時だった。

「すっかり虜になった」という彼は、すぐさま近くのネットカフェに駆け込み、曲を検索して歌詞をプリントアウトした。曲を覚えた彼は、ことあるごとにそれを友人たちの前で歌った。そこで流れるようにラップができる自分の能力に気がついたという。

それからヒップホップカルチャーにのめり込んでいった。特にアメリカのデトロイトや東海岸、西海岸のアーティストたちの影響を受けたという。カレッジに入ると友人たちと「The Schizophrenics」というクルーを組んで、カレッジフェスでオリジナル曲を披露したりもした。授業にはあまり出席しなかった。

当初は英語の歌詞で歌っていたが、途中からヒンディー語とウルドゥー語で歌うスタイルに変えた。そのほうが「もっと多くの人に曲を届けることができるし、インパクトもある」と考えたからだ。

■デビュー曲が話題に

ヒップホップという、自分が本当に夢中になれることを見つけることができた彼だが、良いことばかりではなかった。

「地元の人たちには変な目で見られたり、批判されることもあった。他の人と違ったユニークなことをしていたからね」。

当時引っ越したばかりの土地だったため、よそ者として冷たい目を向けられることもあったという。さらに以前住んでいた地域の友人たちとも距離が出来てしまった。

けれどもそうして溜まった鬱憤が曲を作るための原動力にもなった。ネイジーは当時の心情を歌詞として綴った上で、5日間で曲を作り上げた。使ったメインの機材はiPad。

2014年1月、こうして出来上がった曲「Aafat」をYouTubeにアップした。すると各所から反響があった。ムンバイのアンダーグラウンドシーンで注目を集めただけでなく、バズフィードやガーディアン、ローリング・ストーンといった大手メディアで「インドの新進アーティスト」として紹介されたりもした。

デビュー曲「Aafat」

曲の発表前と後では、周囲の状況がまったく変わってしまったネイジー。成功の要因について尋ねてみると、とても地に足がついた答えがかえってきた。

「重要なことに集中する必要があるし、その中でも優先順位を決めなきゃいけない。僕はそれを常に意識してきたし、それによって自分の才能を最大限に発揮したい。自分の心がその邪魔をしないように気をつけてもいる。今の自分の状況は、恵まれていたということもあるし、ハードワークの結果でもある。大きなステージに立てるなんて、ちょっと前には想像もできないことだった」。

■課題もあり

真摯に活動するネイジーだが、彼一人の力だけでは解決しきれない課題もある。

まずインドのヒップホップシーンはまだまだ小さい。そもそも「シーン」と呼べるほどの規模でもないかもしれない。それでも環境は少しずつ変わってきているようだ。

「インドのラップシーンは徐々に大きくなってきている。けれども成長を引っ張ることができるほどのMCはまだ一人か二人くらいだ。メインストリームの音楽は過剰に商業化されてしまっているから、インドのリスナーの多くは、ヒップホップとは何かについて、間違った考えを埋め込まれてしまっているようだ。これからMCの数が増えるにつれて、インドで力強いヒップホップシーンができれば良いと思う」。

また家族の問題もある。インドの人たちは一般的にアーティスト活動への理解が薄い。お金を稼げる職業を望む家族の協力を得られないケースが多い。敬虔なイスラム教徒で教師でもある両親を持つネイジーも例外ではないようだ。

ナイーブなトピックなので聞き方に気を使ったけれども、率直に答えてくれた。

「家族はアーティスト活動には反対なんだ。趣味なら良いけれども、それで食べていくことはできない、ってね。これが今一番の悩みなんだ。スタジオで音楽を作っていても、パーティーで歌っていても、そのことばかり考えてしまう。なんとかしてすぐにでも解決したいよ」。

インドの人たちに向けて曲を届けるために、英語ではなくヒンディー語とウルドゥー語で歌うネイジー。そのメッセージが、両親にも伝わる時が来れば良いなと思います。

■Naezy

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