インドにもジャズ文化はあった、歴史に埋もれてしまった古き良き時代
「インド音楽」ときいて、ジャズを連想する人はまずいないですよね。
上品なジャズの音色なんて、騒がしいインドの日常の中でかき消されてしまいそう。インドのイメージとはかけ離れています。
でも実は1930〜60年代、まだ「ボンベイ」と呼ばれていた頃のムンバイでは、ジャズ文化が局所的に花開いていました。
1930年代にアメリカのジャズミュージシャンたちがインドを訪れたことをきっかけに、ボンベイのエリート層たちが集まるタージマハールホテルを中心に、毎晩のようにジャズの演奏会が開かれるようになります。
外に広がる悲惨なスラム街とは隔絶された華やかな世界だったようです。
1930年代後半になると、インド人のジャズミュージシャンも登場してきます。彼らは夜の演奏だけでは生活ができないため、生活費を得る手段として昼間にボリウッド音楽の仕事も手がけるようになります。
彼らの演奏は当時のボリウッド音楽に大きな影響を与えました。
カーチェイスやサスペンス、ロマンティックな恋愛ものといった迫力や雰囲気を伝えるシーンでは、インドの伝統楽器よりもサックスやクラリネットといった楽器のほうがハマったようです。
こうして当初エリート層の中だけで楽しまれてきたジャズは、映画音楽を通して徐々に一般市民の中にも広がっていきます。
欧米で流行している音楽を取り入れながら今日まで発展してきたボリウッド音楽ですが、ジャズもその一つとして大きな影響を与えました。
ただ1960年代を過ぎると、ジャズの影響力に陰りがでてきます。欧米を中心にロックやダンスミュージックの人気が高まるにつれ、ジャズの存在感は徐々に薄れていきました。
そして30年代を中心としたジャズ全盛の時代は、時間とともに忘れ去られてしまいます。当時のアーティストが他界してしまったり、資料が散逸したことなどによって、その全体像を伝える人や資料がなくなってしまいました。
しかしThe Wall Street Journalなどで活躍したインド人ジャーナリストNaresh Fernandesは、こうして散り散りになっていた情報や資料をまとめて一冊の本に仕上げました。当時活躍した存命のアーティストや、遺族たちに話を聞いてまわったほか、ムンバイの蚤の市をまわって当時録音された貴重なレコードを集めるなどして、当時の様子を浮かび上がらせることに成功しました。
今回は彼の本で紹介されていたアーティストの中から、主だった人たちと音源をリストアップしてみます。
■インドで初めて録音されたジャズのレコード
インドで初めてジャズを録音したのは「Lequime’s Grand Hotel Orchestra」というバンド。カナダ人のJimmy Lequime率いるこのバンドは、ロシア人とフィリピン人、アメリカ人、モザンビーク人、オーストリア人の混成バンド。
上海での演奏が評判を呼んだことで、カルカッタの高級ホテルで雇われることになります。1926年にカルカッタを訪れた彼らは、現地のスタジオで「Soho Blues」と「The House Where the Shutters Are Green」という2曲を録音しました。これがインドで初めて録音されたジャズだといわれています。
「The House Where the Shutters Are Green」
■インドに本格的なジャズを持ち込んだバンド
1935年9月29日、Leon Abbeyというミネソタ州出身の黒人ジャズバイオリニストが、自身のバンドを率いてボンベイを訪問。タージマハールホテルでの演奏を始めます。
1920年代のニューヨークで名を馳せた彼らの本格的な演奏は、当時のインドの人たちに衝撃を与えたらしく、インドの新聞では「インドにスイングミュージックを持ち込んだバンド」として紹介されました。まさにインドの音楽業界にとっては、「黒船」的な存在です。
こうしてインドに持ち込まれた「スイングミュージック」は、鉄道沿いの街を中心に徐々に広まっていったそうです。
ただAbbey自身は、ボンベイの暑さに我慢できず数ヶ月の滞在の後にインドを離れてしまいました(2年後にまた戻ってきたそうですが)。
また残念ながら彼のインドでの演奏は録音として残されていません。近いものとしては、彼のバンドのトランペーッターを務めたBill Colemanというアーティストが、インドから帰国した数ヶ月後の1937年にヨーロッパで演奏した時の映像が残されています。
「Back Home Again in Indiana」
■インドジャズ黎明期のアーティスト、Frank Fernand
1919年にゴアで生まれたFrank Fernandは少年時代、「いつか黒人のように演奏できるようになりたい」と願いつつ、トランペットの練習に励んでいたといいます。
そして16歳だった1936年、ジャズミュージシャンになることを決意した彼はボンベイに移ります。
当時のボンベイは、海外のアーティストに加え、ジャズミュージシャン志望のインド人たちがひしめいており、仕事への競争は非常に激しい状態だったそう。
そんな中彼は猛烈な練習の結果、イタリア人のピアニスト率いるジャズバンドからのスカウトを受け、タージマハールホテルなどの高級ホテルで演奏するチャンスをつかみました。またインド北部のヒンドゥスターニー音楽にも影響を受け、インド人ならではのジャズを模索します。
1940年代後半からは、映画音楽の仕事も開始。人気俳優ラージ・カプールの映画などでサウンドトラックを手がけました。
こちらは彼が音楽を手がけた映画の一つで、1963年公開の「Amchem Noxib」。
2007年まで存命だった彼は、Naresh Fernandesが今回の本を執筆する際に、当時を知る生き字引として貴重な情報源になったといいます。
■ジャズを一般市民に届けたChic Chocolate
同じく1930年代から活躍した代表的なインド人アーティストがChic Chocolate。「インド版ルイ・アームストロング」と呼ばれた彼も、前述のFrank Fernandと同じくゴア出身でした。
当時のゴアはポルトガル領だったため、ジャズなどの欧米のポピュラー音楽がより一般的だったこともあり、多くのジャズミュージシャンを輩出しています。
夜はボンベイのタージマハールホテルで、エリートたちを相手に演奏していた彼ですが、昼間は映画音楽を手がけることで生活費を稼いでいました。
そして1951年、彼の演奏曲を含むインド映画「Albela」が大ヒットしたことで、ジャズの音が一般市民の耳にも届くことになりました。
劇中の楽曲「Deewana Parwana」には、Chocolate自身も出演しています。トランペットを手にしている男性です。
今回の記事を書くにあたって参考にした本「Taj Mahal Foxtrot: The Story of Bombay’s Jazz Age」には、ほかにも様々なアーティストや彼らをめぐる逸話が紹介されていました。
作者が足を運んで関係者に取材しなければ、失われていたはずの情報も多いので、かなり貴重な本ですね。
※参照情報
・Taj Mahal Foxtrot: The Story of Bombay’s Jazz Age
・Taj Mahal Foxtrot
・India’s first jazz record
・Leon Abbey
・Frank Fernand
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・Chic Chocolate
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